正直、おせち料理は人気がない。特に男子には。おせち料理は手間もかかれば、お金もかかる。なのにその苦労に反比例してみんなの箸がのびていかない。毎年、用意はするのだが、三が日を過ぎても余っているのを見るとがっかりする。なので今年はおせち料理を作ることを止めてしまった。その代わり、蟹やらしゃぶしゃぶやらお刺身やら、少し豪華な食事にしてみた。評判は上々。みんなの箸も進む。これで良かったのだと思った。なんで、もっと早くこうしなかったのだろうとさえ思った。けれど、けれどなのだ。物足りない。お腹はいっぱいになったし、美味しかった。けれど、お正月を迎えたという特別感が足りない。

しかも、おせち料理がないと会話がまったく弾まない。食べたい物を食べたいだけ食べた後は、ゲームをし始める者、スマホをいじる者、テレビを見て笑う者等々、普段の食事と変わらない風景が広がった。そこで、はたと気がづいた。おせち料理は、普段とは違う年の始まりを感じる大切な大切な食事なのだ。テーブルを囲んでダラダラとくだらない話をしながら家族と過ごせるのは、そこにおせち料理があったからなのだ。テーブルの上に普段と違う特別な料理があるという意識が、家族全員を食卓に留まらせていた。ならば、箸が進まなかろうと、三が日が過ぎて余ってしまっても、用意せねばならぬ。

今年の後悔が、重箱を新調させた。小ぶりでシンプルなものだが、漆塗りのものを選んだ。プラスチックの方が手入れがずっと簡単ではあるが、おせち料理は目で楽しむもの。年の初めくらい、手間ひまを惜しむのは止めよう。そして、箸が進まなくてもいいと思わずに、箸が進む努力をしよう。

甘いもの、味が濃いものを男子が好まぬのなら現代風にアレンジを加えればいいのだ。おせち料理も時代とともに進化していけばいい。けれど、無くしてしまってはいけないと改めて思った。来年のお正月、我が家では小ぶりではあるが、おせち料理が再び並ぶことになる。おせち料理を食べよう。そして、ダラダラとくだらない話をしよう。年の初めはそれがいい。ご家族に高齢者がいても、やわらかおせちという、おせちが全部咀嚼可能なほど柔らかくなっているおせちがあります。やわらかおせちなら、家族全員でおせちが楽しめますね。